紫陽花の想いで
度々、母のお話しを書いていますが、先日は実家に咲いていた紫陽花を
病室に持って行きました。今年は、2つの株に3輪しか咲いていなかったけれど、
まとめるとブーケみたいに見えて。
写真を撮り忘れました。
なので、数年前の写真ですけど。
水色のお花が咲くアジサイは、数年前に母と豊島園のあじさい園に行ったときに
買ったものを、地植えにしたものです。
土が余り良くないのですが、最初の一輪が、座布団のように大きくてびっくりした
ものです。
昔から咲いている紫陽花の株よりもずっと大きい株になって。
豊島園のあじさい園にある、あじさい電車がこれまた、私は好きで、
登山電車とかケーブルカーとか、なにか、おとぎの国の中を走っているような
雰囲気のものが好きです。
こちらの山あじさいはこれから咲くのでしょう。
こちらは、子供の時から咲いていた紫陽花だけれど、栄養が足りないのかな、
小さくなってしまって。
がら~んとした実家に空気の入れ替えに行き、リビングでお弁当を食べ、
2階に行き、アルバムを見ていて、下に降りるときにふと
「れいこさん、ご飯よ~」と昔、よく呼んでもらった声が脳裏に浮かびました。
そうしたら、涙がブワ~ッと溢れてきて、ここ数か月の慌ただしさ、
あるいは、数年前からの母の変化に心が付いていっていたつもりでしたけれど、
ある意味、心を守っていたのかもしれません。
昔は、ご飯に呼ばれても、用事をしていると、すぐに行かなくて、
冷めてしまったりして、「暖かいうちに食べさせようと思っているのに」と
いう言葉に、うるさいなあ、用事をしているのだから仕方がないじゃないと
思ったりしていました。
結婚して、自分が作る立場になると、気持ちが良くわかります。
立場変わればではないですけど。
当たり前のように思っていたことは、当たり前では無くて。
とてもありがたい事だったのだと、気づいては、声を出せない母に
伝えています。
当たり前のことなんて、ほんとうはないんだね